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愛媛県喜多郡五十崎町平岡甲1240-1
天神産紙事務所建物
 事 務 所

ダミーダミー歴史・概要帯び


「大洲和紙」の由来と天神産紙工場


 伊予の紙は延喜式に出ており、正倉院文書にあるほど歴史が古く、島根県高津神社に伝わる国
東治兵衛の著書『紙漉重宝記』によれば「万葉の歌人柿本人麿呂岩見の国の守護として紙漉の技を
起こしその術たちまちにして伊予の大洲に伝われり」と記されております。

 その後幾多の盛衰を重ねながら徳川時代に入り、大洲藩主加藤泰興が寛永年間五十崎郷在住
の土佐の浪人岡崎治郎左衛門(上村に墓あり)を召抱え御用紙を漉かせ、また越前から元禄年間
6部の宗昌禅定門俗名善之進(香林寺に墓あり)が来村し、大洲藩紙漉の師としてその技術を指導
せしめて、藩内産業として繁栄を極めました。以来大洲藩にては紙を藩の財源とする為宝暦10年
に紙役所を内子に、楮役所を五十崎に設置しこれを統制。難波の地に移出し大いに藩経済に寄与
せしめたのであります。

 その間寛永3年には、床屋や豪商が利益をむさぼり百姓一揆が起きているのは、大洲藩の有名な
歴史のひとつであります。また佐藤信渕の経済要録巻10によれば、大洲和紙は大阪に出荷し品質
日本一として大いに声価を高めており、我々の祖先の苦労と技術をしのぶことが出来ます。
 明治中期より楮原料の地半紙より三椏(みつまた)中心の改良半紙の方が盛んとなり、明治42年よ
り大正5年にかけ小田川に沿って幾多の工場が続出し、明治末期には業者430名を数えましたが、
機械文明の発達と共に、ついに終戦時には74名となり、現在町内業者は僅か2名となっております。
 当天神産紙工場は、大正初期に井口重衛氏により創業され、昭和6年現組織となりましたが、当初
25槽で操業し、終戦時は15槽で営業を行い、手漉和紙工場としては日本一の大規模工場と云われ
ました。

 戦時中は軍命令により気球用爆弾紙を漉いておりましたが、機械文明に抗しながら古来の技術を
かたくなまでに守り続け、手作り品の良さを愛し和紙を作ることに生きがいを感じ、その人生を送る
従業員全員が五十崎町指定無形文化財であり、かつ国及び県指定の伝統工芸士の認定を受けて
おり、各々30年以上の経験を有する熟練工であります。

 製品は書道用紙・障子紙・表装用紙等ですが、特に書道用紙は質量共に日本一と云われている
ことは誠に光栄と考えています。昭和52年10月、「大洲和紙」はその品質と技術を認められ「通産大
臣指定伝統的工芸品」となりましたが、いよいよ古来の伝統を守り手づくり品の良さと日本人のあたた
かさをもつ、より良き「大洲和紙」の生産の為一同日夜精進を重ねております。


 天 神 産 紙 工 場
〒795-0303 愛媛県喜多郡五十崎町大字平岡甲1240-1
TEL(0893)44-2002 ・ FAX(0893)44-2162
代表取締役  沼井 光博